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土曜日に 『湯河原新聞』に 掲載されていました
   新潟県 福島潟の 予言する妖怪「光り物」が
   熊本県に 「北前船きたまえぶね」で 伝わったという 私の試案は、

日曜日に、千穐楽かと 思っていますが、 地方紙が日・月曜休刊ですから 火曜日か。   
   明日の朝  「FM熱海湯河原」で 朝 9;30からの
   「アマビヱ」 紹介の話をする為に
   ラジオでは わかりにくいけど、 まずは アナウンサーに
   分かり易く話すことが 相づちを打ってもらうために必要なので
   地図を 作っていましたが、
 
    アマビヱ9 湯河原新聞連載

湯河原でも 風の強い土曜日でしたが、 私の地図に現れる地味は 
   今回の豪雨・水害で
   大きな被害を受けた地域でした。

98338c81.jpg


 この妖怪の ウワサや 絵付き瓦版を 持って行った先と考えられる、
   肥後国 熊本県の 幕末~明治の 当時栄えていた港は、
   下の地図の4箇所です。 
 北から
   ◯高瀬湊 玉名市
   ◯小島湊 熊本市
   ◯川尻湊 熊本市
   ◯牛深湊 天草市
 
熊本県地1図

  この熊本県の地図の  
  下の部分が、土曜朝・今朝の洪水で被災された場所です。
  お見舞い申しあげないといけませんね。 

  この 予言するアマビヱさんが、
   先週あたり この洪水を 予言しなかったのだろうか?
   先年おこった 熊本地震で大きな被害のあった 場所も 
   上の 小島・川尻という 二つの湊でしたが、  
   アマビヱさんは 予言しなかったんだろうか?

   気になる 所です! 


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2020.07.04

この 江戸時代の瓦版の 場所は、
  新潟県新潟市と新発田市の間に挟まれた、旧豊栄市、もっと古くは 旧葛塚町に
  あった、 今も 1/4位は 残っている
  干拓される前の 「福島潟 ふくしまがた」である。

埋め立て計画の終わった、日本海がわから 東の福島県方角を見た写真です。
    ですから したの地図と 逆の方向からです。

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 恐らく、この瓦版に出て来る 逸話があった場所は、上の写真の奥の方
    雪の残る 山々のふもとのほうから 見た話だと思います。

データベース

  下の 現代語訳の文章なら 読んでスグに 分かり易いと思います。

福島潟現代語訳

  下の地図、 干拓された 福島潟を中心とする 地図です。
    ※地図上にカーソルを置いて クリックしてください。拡大されてよく見られます。
   地図の左上が新潟市街。流れるのは 信濃川です。
  真ん中を 下から上の日本海に流れるのが 阿賀野川です。
   更に右側の 青い線で 示されたのが 福島潟で、
   青い線で囲まれた江戸時代から、干拓が進み、
   現在は 福島潟の青字の部分に水が貯まり 芦の島が点在しています。
   青点の部分が 埋められて すっかり 水田となっています。
  
  干拓する為に、細い川を拡大され、掘られ、広げられたのが 新井郷川です。
   水抜きのために 途中に、新井郷川排水機場という 巨大なポンプ場が、
   戦後 農林水産省により建設され、
      福島潟の 全面干拓 ⇒ 水田拡大=農地・食糧増産を目指しました。 
   ところが 順調にいっていたにに、 二度の洪水で、工事が進まないうちに、
   米が余り、生産調整を行うため、全面水田化をあきらめます。

   二本目の新排水工事が、のち新発田川と呼ばれる排水路計画が始まっていた時に、
   農林省勤めであった 私の父は、その仕事に係わるために、転勤になりました。
   その豊栄市にあった官舎住まいとなりました。
   下の豊栄駅と福島潟の間に 北区の字の下に 赤い丸印があります 
   私は その官舎に帰省して、そのとなりの 今は図書館になっている 当時の葛塚中学体育館で
   成人式をあげました。
     今も持っている 成人記念品には 福島潟のハスのデザインです。

   IMG_7661.jpg

福島潟地図

   新しく、作る二番目の川や埋めたて堤防のために作られた 隣の駅、黒山駅まえにあった
   農林省事業所へ、父親はつとめ、私も 大学時代に、アルバイトに行きました。
   掃除 書類整理でしたが、福島潟の干拓事業でした。
   
藤岡屋福島潟現代語訳

  そのころ、このローカル線を、新潟駅から北方に向かう 
  特急列車 「いなほ」「白鳥」といった列車が、通っていました。

  そんな 生活をしていた 私には 
  まさか、福島潟に現れた 妖怪のことを こんな風に書くことになるとは、
  知りませんでした。







2020.05.12


 江戸時代末期に 肥後国(熊本県)に 現れた妖怪は

    なんと 肥前国(いまは長崎県)平戸にも 現れる。    
    こんな 風であったと 絵が残る。   
  
  最後の一行に 「文政2年3月15日」に出たと 書かれている。
    文政2年=1819年で、  今から 201年前である。

  001_20200509155329e73.jpg
  

次は その 本になる 熊本の 
          この毛だらけの猿と思われる 妖怪である。

  
字を読むと・・・・
 肥後(熊本県)、(細川)越中(守)殿の御領分、青沼郡磯野浜
毎夜現れて人を呼ぶものがあった。光を放って恐ろしい姿である。
通りかかった旧熊本藩士の芝田忠太郎が素性を問うと、
「私は海中を司る 尼彦(あまびこ)である。今年から6年間は豊作だが、
国中に激烈の難病が流行して 6分ほどの人が死ぬだろう。
しかし、私の姿形を写して朝夕見る者は この病気を免れることができる。
このことを告げるため、毎夜こうして陸に上がってきて待っていたのだ」
と答えた。
人々はこれを「尼彦入道」と名付け、その姿を写し持っているとのことだ


 

   Amabiko.jpg



ネットで これを 紹介している人がいるので 取り上げておこう
  文章は共通だが、

 最後に 「明治九年五月吉日 写之」とある。
   1876年であるから  144年前である。

  共通点は 場所、話を聞いた人物名、年数など同じである。

am01.jpg



  さて、例の 新潟県の福島潟の はなしに戻ろう


データベース


この話を受けて 下のような 浮世絵が描かれた・・・・ 
   右上に 囲みで 説明文がある・・・・

この人物名は  何と書いてあるだろうか?

   「柴田 某 といへる者」

ETYhMeyUMAAKu9K.jpg

  おお、 なんという 伝言ゲームみたいだし、
    話に    段々 尾ひれがついてくる・・・
  
  熊本 青沼 から 新潟 福島潟へ 場所が 移る。  
   肥後国        越後国  

  妖怪に話を聞く人名が・・・
    柴田忠太郎 ⇒ 芝田忠太郎 ⇒ 芝田忠兵衛
                新発田(しばた)藩に 関係づける
  
  それも お殿様が 細川越中守 だった連想だろうか。
   熊本には 青沼郡 なんて無いのだから 恐れ入る。


2020.05.09



       images_202005081935141fc.jpg

新潟の弟から 送られて来た写真は
  甘エビ (南蛮海老)では なくて、 和菓子「アマビエ」



アマビエ 菓子s

 そのもとは、熊本に残る、この絵であった。


Higo_Amabie.jpg




  ところが、最近は 新潟県新潟市北区の福島潟へ降りてきた
   この 妖怪が 断然可愛いし、力を持っておるように思うのです。

妖怪2

  長岡市にある 県立博物館に この絵が収蔵されています。


 
雲に乗って 天から降りてきた 髪の長い妖怪が降りてきたというものです。

福島潟1




  早く 開館して 見学者が殺到するのを 待っているようです。

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  楽しみですね これは・・・・・・











2020.05.07


きょうの 神式法事で、
  
  二人の 孫娘たちが 見つめる先は、
  神主さんが 、
  一枚づつ 先祖の御霊屋から取り出した、
  代々の先祖の人々の名前が書かれた霊璽札の数々・・・

  ・・・・三代・四代・・・・と、書かれていて、
  裏面には、 「◯◯門左衛門」の同じ名前が書かれて繋がる

中村家御霊屋の繰り上げ位牌を見る

  繰り出しの霊璽の札である。
 
  孫娘達は 自分の先祖達が、 
  数百年前が 江戸時代から ずーっと続いていることがわかって
  興味津々 驚きの表情。 
  ちょっと 宝探し的興味も ある表情でした。

  私は、
  この家に嫁に行った娘の
  子供たちである 孫娘たちには、 
  この霊璽のあとに・・・・・ あなたたちの名前が続くのだという話は、しなかった。

  ずーっと 時間がたって、この時のことを
  思い出すこともあろう。






 
  


2020.03.09
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