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 昨日の 「湯河原温泉と落語」 上 に続いて
   今朝は、  続編 下 を掲載していただきました。ありがとうございました。

   今から 128年前の 湯河原温泉や宮上・宮下の様子が書かれています。

湯河原新聞30.8.
  9gatu26niti 湯河原新聞 落語下
 
※ 読みやすいように、
      下に 昨日・本日の 上・下の原稿を 直接 貼り付けておきます。

   

  湯河原温泉と落語       加藤雅喜   
                         2020年9月13日FM熱海湯河原  のち2020年9月21日地元紙に寄稿
 
 湯河原温泉では、新型コロラ感染防止のため、予定されていた七夕落語「三遊亭小遊三一門会」が延期となっていましたが、10月25日の開催が決まり、先週から土日曜の「おんせん落語」「見番寄席」も始まりました。

        見番寄蹟syou

 実は 湯河原温泉と落語の関係は古く、128年前にさかのぼります。明治25年(1892)九月□日、落語中興の大名人三遊亭圓朝が、湯河原温泉の伊藤周造が四年前に創業した新しい旅館「伊藤屋」に宿泊して新作を書きました。先月、私が伊藤屋へ伺ったところ、「宿帳に名前も見当たらず、日付も不明です。」と和子女将さんのお話でしたが、湯河原が有名になる記念日となるのです。
 怪談「牡丹灯籠」「真景累ケ淵」、奇談「鰍沢」、人情話「文七元結」「芝浜」など、現在も語るのが難しい長編を自作した圓朝は、師匠からその才能を嫌われており、人力車から落とされる怪我により落語を廃業していたので、本名の出淵次郎吉を書いて有名人と気づかれないようにやって来たのでしょう。

        圓朝(鏑木清方画) 三遊亭圓朝(鏑木清方画)国立近代美術館

 ちょうど、明治20年に横浜駅ー甲府津駅が開通し、豆相汽船会社が国府津港ー熱海港を開業し、翌年、今の箱根登山鉄道が国府津ー小田原早川ー湯本に鉄道馬車を通し、早川から湯河原・熱海方面への人車鉄道の工事が始まろうとしていた頃で、腰痛治療の圓朝は、船で真鶴か福浦に上陸したのでした。
   ◆          ◆
 伊藤屋で作られた新作は 『名人 長二』(以下『長二』と略す)という話でした。

       14671283_1152403504838325_2019617113397320699_n.jpg  大正期建設の伊藤屋旅館

 本名長二郎は質実堅牢な作風の江戸指物(さしもの)の名人でした。時代は幕末。湯河原温泉へ来た訳ありの夫婦が、赤ん坊を山中へ投げ捨てて消え、谷底から、竹が肩に刺さって泣きわめく赤ん坊を発見した地元の老夫婦の献身的手当と、湯河原の温泉効果で命を助けられ、のち、江戸の本所(スカイツリー付近)へ、この子をつれて出て生活をした老夫婦を、実の親として、努力して腕をみがいて名人といわれるようになった長二が、肩の傷が痛むのと、弟子がノミで怪我をして破傷風にならないよう治療のために、湯河原へ来た。旅館の婆さんから、昔この温泉で起こった赤子捨て子事件を聞いて、それは自分のことだと気づく。谷へ自分を投げ捨てた夫婦が、その後も江戸で悪行をくり返していることを突き止め、ついには殺人事件を起こすが、南町奉行の筒井和泉守の名裁判で救われるという話。

この涙の話は、フランスのモーパッサンの『親殺し』が原作で、日本では和訳が出たのが、伊藤屋で『長二』を書いた8年後のことなのに、どうして圓朝は知っていたのかというと、伊藤屋に来ていた有島武郎や里見 弴の母の幸子からもらったメモをヒントにしたといわれています。夫の有島武は横浜税関長であったから、検閲前の原典のストーリー抜き書きを手にしていたと考えられます。

 この有島税関長は、あの与謝野鉄幹の渡欧も援助しており、現在の千代田区の「番町文人通り」は、
女子学院となりの与謝野鉄幹・晶子家跡から、雙葉学園近くの菊池寛、有島武郎、里見弴、島崎藤村家跡まで600m余が指定されていて、いずれも伊藤屋を愛した文化人たちであることに驚かされます。圓朝の新作は、そのネットワークの上に、彼らの面倒をみた伊藤周造の宿で書かれたのでした。
  ◆          ◆
 落語家を廃業していた圓朝は8年後に逝去して谷中の「全生庵」に埋葬されて、自分で生前これを語ることは出来ませんでしたが、弟子40人を数えた三遊派の後継者が取り上げます。のち大真打ちとされた六代目三遊亭圓生、八代目林家正蔵(彦六)、五代目古今亭志ん生、三代目古今亭志ん朝、桂歌丸らによって、「芝浜」や「文七元結」「牡丹灯籠」などは語られましたが、『長二』は少なく、五代目古今亭志ん生の昭和32年録音がCDとなっているが、残念ながら湯河原温泉の紹介部分がありません。寡聞にして私が知るのは隅田川馬石と五街道雲助の7年前の録画のユーチューブ公開動画です。このように現在では、落語ではなかなか聞かれませんが、舞台演劇としては明治時代に新富座で五代目尾上菊五郎が演じて当たり芸としたといいます。
 現代でも 2017年の小泉今日子プロデュースで豊原功補の脚本・演出による、芝居噺『名人長二』は好評を博して、
 今日 9月26日(土)19:20から CS衛星劇場(見ることが出来ない人も多いのですが)で初放送されることになっています。私は、そこで この湯河原温泉の場面が語られるか楽しみにしています。
      CS衛星劇場 名人長二

◆それでは『圓朝全集』より原文を紹介します◆

 「指物師の名人長二は、文政三辰年の十一月(1818年、202年前)のはじめ、弟子の兼松を引連れ、湯治のため相州湯河原の温泉へ出立いたしました。
 湯河原の温泉は、相州足柄下郡宮上村と申す処にございまして、当今は、土肥次郎実平の出た処というので土肥村と改まりまして、城堀村にある実平の城山は、真鶴港から上陸して、吉浜を四五丁まいると向うに見えます。吉浜から宮上村まで此の間は爪先上りの路で一里四丁ほどです。
 温泉宿は
 ・湯屋(加藤廣吉)
 ・藤屋(現:富士屋、加藤文左衛門)
 ・藤田屋(加藤林平)
 ・上野屋(渡邊定吉)
 ・伊豆屋(八龜藤吉)などで、当今は、
 ・伊藤周造(伊藤屋)に
 ・天野某(天野屋)などという 立派な宿も出来まして、何れも繁昌いたしますが、
文政の頃は藤屋(現:富士屋)が盛んでしたから、
長二と兼松は此の藤屋へ宿を取りました。温泉は川岸から湧出しまして、石垣で積上げてある所を、惣湯と申しますが、追々開ひらけて、当今は河中の湯、河下の湯、儘根の湯、下の湯、南岸の湯、川原の湯、薬師の湯と七湯に分れて、内湯を引いた宿が多くなりました。湯の温度は百六十三度(摂氏73度)乃至、百五度(摂氏40度)ぐらいで、打撲、切りきずは勿論、胃病、便秘、子宮病、リョウマチスなどの諸病に効能があると申します。
 西は西山、東は上野山、南は向山、北は藤木山という山で囲まれている山あいの村で、総名を本沢と申して、藤木川、千歳川という川が通っております。此の藤木川の流れが、当今、静岡県と神奈川県の境界になって居ります。千歳川の下に五所明神という古い社があります。此の社を境にして下の方を宮下村と申し、上の方を宮上村と申すので、宮下の方は戸数八十余、人口五百七十ばかり、宮上村は湯河原のことで、此の方は戸数三十余、人口二百七十ばかりで、田畑が少のうございますから、温泉宿の外はもよりの山々から石を切出したり、炭を焼いたり、種々の山稼ぎをいたして暮らしを立っている様子です。此の所から、小田原まで五里十九丁、熱海まで二里半余で、何れへまいるのにも路は宜しくございませんが、温泉のあるお蔭で、年中旅客が絶えず、中々繁昌をいたします。(下略)」

・・・・ここには、圓朝が見た128年前の湯河原温泉の姿が見事に書かれています。この2年後に「日清戦争」の負傷兵が湯河原で治療を受けて温泉効能が称賛されます。4年後に「豆相人車鉄道」が小田原から開通して多くの湯治客や軍人・文人がやって来ます。この圓朝『長二』の発表が湯河原温泉の宣伝となったのでした。
     ◆          ◆
さて、そういう落語と縁の深い湯河原温泉ですが、延期となっていた「三遊亭小遊三一門会」が10月25日(日)開催されることになりました。
         一門会
 これまで「梅の宴での落語会」「一門会」等を開くにあたり、観光協会や旅館協同組合と落語芸術協会との橋渡し役をつとめて、出演もする三遊亭遊之介は、私が埼玉県立三郷高校で教員だった時の教え子です。きょうは教え子が、いつかは『長二』を演じてほしいという私の期待と、感染防止の大笑いを控え、マスク姿の小笑いで気晴らをしましょう!という「一門会」の宣伝も兼ねて、湯河原温泉と落語のお話をしました。

  ※この文章は 9月13日FM熱海湯河原「わくわくステーション」で紹介したものに加筆したものです。










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2020.09.26

 土肥会の小冊子に
    私が書いたものです。
    見学に行った時の資料を もとにしたものです。
    
    ※画像の上に カーソルを置いてクリックすると 拡大して読めます。

  鎌刃城




2020.09.22

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  9月連休の中日 

  湯河原駅前の大屋根広場は  曇り
         のちに 小雨もありそう。

  今朝の原稿書き仕事の 伴奏曲は

   山口百恵の「コスモス」

不完全だけど 聞こえて来た歌詞は 
 ♬
  コスモスの揺れている
   庭先の 母が
    一つ
    咳をするー    ♬


  大丈夫か?
    新型コロナじゃないのか?
  と  
  思ってしまう
  現代を 苦笑いしてしまう 敬老の日



   
 一昨日から書いていた原稿が 延べ40時間余
     今朝 完成して送付しました。


       圓朝(鏑木清方画) 
   旅にも同行したことがある鏑木清方の描く 三遊亭圓朝


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      三遊亭圓朝 と 湯河原温泉 伊藤屋 

   私が「敬老の日」に書き上げたのは、128年前の湯河原の風景を 
      落語『名人 長二』に 書き残しくれた 圓朝のこと




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2020.09.21



きのう朝9月18日(金) 朝7時からのTVを見ましたか?

 NHK総合テレビ「おはよう日本」で、
 コロナ渦のいま、地方のローカル鉄道も大きな打撃を受けているなか、
全国で苦しみながらも前向きに取り組むローカル鉄道の二社が紹介された。

 「銚子電鉄」と「えちごトキめき鉄道」で、これまでも 旅行番組の特番でも、経済番組でも 度々紹介されている二社であるが、コロナ禍での移動自粛でピンチの度合いが高まった。さらに大水被害の大きい九州「くま川鉄道」のバックアップも協力していく私鉄グループは大変だろうと思う。それぞれの悩みを語り、お客さんに乗ってもらわないとやっていけない現状を語り、努力と魅力についても語ってくれた。

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 私の故郷、新潟の糸魚川・高田・直江津方面を走らせているのが「トキめき鉄道」である。そうそう、一度は夫婦で乗ってみたいと思っている、真っ赤で展望のイイ車両で、ここのところメンテナンスをしていた「雪月花」が、きょうから運行再開になっている。

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 この鳥塚社長(この人は いすみ鉄道社長だった人である)「鳥塚亮の地域を元気にするブログ」は、私の愛読ブログであるが、少しだけ「鉄ちゃん」である私には、うれしい。



 今朝19にちの
 FM熱海湯河原を聞いていたら、有名な「あずさ二号」という
 都倉俊一の曲を 歌った「狩人」の
どちらかが今日、誕生日だというので、「あずさ二号」の曲が流れた。

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偶然、今朝 同じ時刻の11時14分に、私の部屋から見える湯河原駅を、下田へ向かう特急「踊り子」が停車し、
 出発していった。
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   駅に停車していたが、 東海道線 ←左の方向(熱海・下田)へ出発して行きました。右写真のアップは最後尾の車両

先日、このブルーの列車が、このブログで、「あずさ」「かいじ」の改装リニューアルであることを書いた。

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                     ※ あずさ       ⇒      踊り子
                     ※ 旧現 踊り子   ⇒    新 踊り子
       かいじあずさリニューアル踊り子



さて、鳥塚社長のブログに、
学生時代の新宿駅で発車を待つ
 「午前8時ちょうどの あずさ二号」の白黒写真が載っている。 紹介させていただくと

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 私も 見たことがある 実になつかしい  初代の「あずさ」の姿である。

 1964年東海道新幹線が、TOKYOオリンピックを前に開通して、
 その 2倍の時間を掛けて 東海道線を走っていた 「こだま」号が、廃止されて、
 使わなくなった 車両を 全国に分配して出来たのが、
 新潟行き「とき」、長野行き「あさま」、松本行き「あずさ」、仙台行き「ひばり」が
    新設や増発になったと記憶している。

 その「とき」「あさま」「あずさ」の共通車両の写真がなつかしい。
ただ、
 黒磯までの直流区間から 交流区間へ通して走れるようにした
「ひばり」と 私が 生地の喜多方へ急ぎ帰るときに使った「あいづ」とは
  「とき」など3種の 先頭車デザインが 少し違っていた!

      20150428_279140.jpg

 今、上尾大宮の鉄道博物館に展示されている 「とき」先頭車であるが、それも少し違う。
 が、私が東京での大学や埼玉での教員となったあとの
   往復に使っていた当時の「とき」は 運転室の上の前照灯は無かった。

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  今日の土曜日は 仕事をしながら このレポートを 書くことができた幸せな 一日であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 ※このページで お断りせずに 公開されている古い写真を お借りした失礼を お詫びします。
  
   



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2020.09.19




 ① きょう 湯河原町の施策マスクが届く。
    一人 3枚の不織布マスクである。 3セット 町長の挨拶文付き

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   ご覧の特別製 大封筒に入れての 郵送。
   昨日、これを 郵便局に持ちこんだ 町の職員に会ったので、言ってくれれば、
   手渡しでもらえたのに。
   郵送料が 節減できたのに・・・・と思うのは、 
     マスクを作り、運び・・・ 
     これによって ピンチに陥っている生産者や郵政事業を好転させる、
     経済施策の一環だと考える人にとっては、
   とんでもないことだと、気色ばむことだろうか。

   「どこかで だれかが助かっていると、考えないといけない」と言われそうだ。
    が、 私は、大借金を 次世代に任せてしまう 日銀の政策継続が、
   信じられないのと同じである。

      次ぎに、「今さら マスクか!?」という声も沢山聞いている。
   わたしも そう思っている。  
   せめて  

   ・マスクがイイか? 
   ・消毒薬がイイか?
    
             湯河原町の工夫としては
    希望を とってくれれば良かったのに。 

   俗にアベノマスクを配ったあの時期は、
   何をしていいか分からない時期であり、
   マスクが底をついたときだったから やむを得なかったと強弁できるが、

   この時期に郵送するなら、マスクでなくても 
    上のような 希望制でも良かったと思う。

   湯河原のお年寄りは、手製のマスクを、色々工夫して作り続けてきたから、
   町内で会うお年寄りの 大部分が 手製のマスクだ。
   店で買うことも 自由にできるようになった。
 
   針仕事で 容易に作れる マスクに対して 
    お年寄りが 手製で工夫して作れない
     (ことによっては、無効力や製造時の危険があるので)、
     アルコールや塩素系の消毒薬が 
     ありがたいと感じる お婆さん、お爺さん達も多いのではないだろうか。 
   選択制で・・・時間に余裕のある、歩ける人なら 
     ヒマなんだったら、重い消毒薬(アルコール系は高濃度なら送れないから)は
     町の役場や区の事務所へ 取りに来てくれれば イイのだった。
   「感染が怖いから 郵送にした!?」 
     イヤイヤ go-toキャンペーンを、必要だと歓迎している この町で、
   手作りマスクをして、消毒薬を、もらいに来る人は、もらったばかりの消毒薬を 
   早速、手にこすりながら 撒きながら帰るなら、どこの観光地よりも、安全だと思うよ。

   しまい込まないで、記念品にしないで
    今現在 すぐに 必要な人 欲しい人に あげる工夫も 提案してほしかったね。


     
 ② ーa 消費税を上げる代わりに 
    ・割引をするから
    ・プラス・ポイントを付けるから、
   カードにしろ。・・・・・・という 6月までだったか、カード社会を作る試み  
       その 還元は 全国民へ しっかりされたのだろうか?
       補助金を出して、弱小こうりてんに カードを導入させた成果はどうだったのか?
       小売店は 助かったのか?
       生き残れたのか。
      国民に報告がない内に また新しいことをやろうという新政府

 ②ーb  全国民へ 10万円を くばるから、
        マイナンバーカードを作れ。  
    その方が早く 口座に振り込まれる。・・・・これは そうならなかったことを 
                                                                                      みんなが知っている

           ※下記③のように、現在、
     銀行口座から、カード会社へ お金が移されて使われているという事態がわかり、
     セキュリティの完全でいない 事態が起こっている。 
     それで、よく考えて・・・私は ◯◯を選んで マイナポイントを きょう登録したが、
     紐付けになったのだから、覚悟はしておかないと・・・・嫌な時代になった。
       安心して 自分の銀行預金を貯めておきたいと思っても
       政府の勧める カード払いをはじめたら、いつの間にか だれかに盗まれてしまう。
       江戸時代にも 無かったことだ。
    


 ③ 上の ②ーa  ② ーb の成果が でないうちに
   マイナポイントを あげるから、
   マイナンバーカードを作れ、
   銀行口座と ヒモ付けにせよ・・・・・・・・・

   たしか こんな キャンペーンが、 先週まで TVCMで さかんだったが、
   急に見かけなくなった。
  
   そして、きょうは、湯河原町の郵便局 ゆうちょの口座に 行列が出来た。
   郵便局のATMに、通帳の記帳に やって来た人の列である。
   車が道路駐車で 道路が渋滞して、 パトカーが来た。
   でも
   「パトカーよっか、お金が引き出されていないかを 確認するのが大事!」
   おお怖い。 みんな平気。そうだよね。

   一昨日 ありから 盛んに 
   「自衛策は、こまめに記帳して、不審引き出しがないかを確認するだけ!」 
   こう TVで放送されては・・・
   私 同様に 郵便局や 銀行に
   行くしか無いよね。記帳だけが 防衛策なんて、とんでもないことだけど。
   それすら、その記帳したその時だけは まだ引き出されていないだけの、頼りない安心感なのだけどね。 
   
   いったい 何時から 日本国は、預金が本人の知らないうちに 
   引き出される安心の出来ない国になったのか! 

 ここ数日「データ庁とか、デジタル庁とかを 目玉とする」という新政府だが、
   創設は 後回しにして、
   いま、 日本の カード・データ・デジタルから、リモート・マイナ・ヒモ付けなど、
   この被害を ストップさせてほしい。
   Go-To キャンペーンで留守をして 終わってみたら
   銀行預金が引き出されている! じゃあ困るんだよ。  
   このままでは、コロナと並んで、
     日本の「人の命」と「財産」を 同時に失ってしまうよ。 
   

   自慢そうに 
     日銀総裁や財務大臣や総務大臣・行革大臣・デジタル大臣が
     アドバルーンを あげているが、 
   人のお金が いつの間にか、分からないうちに 引き出されるという事態は、 
   前代未聞。
   オレオレ詐欺などとは 違う。 注意しても 自分では守れない事態で、
   日本の金融・経済の根幹を揺るがす問題である。

   手抜きセキュリティでの 
     至急 あやういカード社会などや、金融機関に、国は号令を掛けるべきである。 
    
   デジタル社会の怖さ、スマホ社会、カード社会のヤミを感じた ここ数日である。
   この連休中は、お役所は休みでも、銀行は休みでも、 
     スマホ・カードによる お金の移動は休みではないだ。
     簡単に、私になりすまして お金を引き出すのだから

   今のところは、(届け出た 被害者には失礼ながら)少額被害であるが、 
     実際の被害者数は不明だし、巨額被害もあるかもしれない。

 この 9月末連休や、10月1日からの GoーTo◯◯キャンペーンが 終わったら
   コロナ患者が 自分のまわりで急増し、銀行預金が引き出されていたのでは・・・
   こまったことになりそうだ。


   心配している矢先に、故郷出身の 国会議員が感染したと報道されている!
   きょうの東京都の新しい感染者が また200人を超えたという・・・  
    





2020.09.18
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